浅草花柳界の歴史
浅草寺の北に広がる浅草花街は、伝統と格式を誇る東京屈指の花柳界です。その歴史は長く、発祥は今からおよそ400年前の江戸時代(1603-1868)に遡ります。
当時から世界有数の大都市であった「江戸」で、浅草寺の門前町として栄えたのが浅草です。浅草寺の参拝客や、芝居町の歌舞伎を観にくる人々をもてなす茶屋でうまれた芸者が、唄や踊り、三味線などの伝統技芸を磨き、浅草花街は東京を代表する花柳界になりました。
大震災や戦禍で大きな被害を受けたのちも、浅草花柳界は浅草の人々とともに大きな試練を乗り越え、いち早く復興を遂げました。地域の人々や文人墨客など多くの人々に愛され、浅草のまちと共に歴史を歩んできた浅草花柳界は、今も芸を磨きながら、江戸の文化を伝え続けています。
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浅草寺の北に広がる浅草花街は、伝統と格式を誇る東京屈指の花柳界のひとつです。
古来より「浅草の観音様」として知られる浅草寺は、多くの参詣者で賑わい、彼らをもてなす掛け茶屋が出て賑っていました。江戸時代に歓楽街の「新吉原」や芝居町の「猿若町」が形成されると、浅草は江戸随一の盛り場へと成長しました。
江戸・東京の地誌『武江年表』によると、明暦年間(1655-1657)の項に、「金竜山の門前に初めて茶飯・豆腐汁・煮染・大豆等をととのえて奈良茶となづけてだせし」と記録されており、これが江戸の料飲店の始まりだといわれています。
江戸中期に田楽茶屋(豆腐に味噌をつけて焼く田楽を出す茶屋)が流行すると、浅草も田楽茶屋が軒を連ねるようになりました。特に雷門前広小路の菜飯田楽を出す目川屋が有名でしたが、ここで酒客のお相手に生まれたのが、田楽芸者の愛称で知られた「広小路芸者」です。
さらに浅草の北に遊女三千人で不夜城を誇った幕府公許の新吉原の遊郭ができると、豪商たちが吉原遊廓で豪遊するようになりました。吉原遊廓の外で、遊廓に繰り出す前の客が遊興を楽しむ編笠茶屋(引手茶屋)や船宿で、唄や踊りで座を盛り上げたのが男女の芸妓衆です。ここに山谷堀の芸者、俗にいう「堀の芸者」が生まれ、盛況を迎えます。
また天保の改革で、江戸市中に散在していた3座の歌舞伎、2座の人形芝居の小屋が浅草寺の北に移され、芝居の町・猿若町が形成されると、ここで歌舞伎が興隆し、爆発的な人気を博しました。芝居小屋に専属した芝居茶屋では、芝居櫓にちなんで「櫓下芸者」とも呼ばれた猿若町芸者が生まれます。猿若町芸者の芸は、芝居小屋で活躍する演奏家を師匠に迎えて稽古をつけて頂いたこともあり、特に見事でした。
これら三派の芸妓衆が、この三名所を背景に、江戸府内随一の大歓楽境を作っていきます。
豪商達は吉原の遊廓や歌舞伎の芝居小屋などを貸し切って豪遊し、歌舞伎・浄瑠璃・俳諧・琴・能・踊りなどを楽しみ、芸者との宴席で江戸の粋を競い合いました。
庶民にとっても浅草は最大の繁華街で、浅草寺北西の奥山と呼ばれるエリア(現在の浅草花やしき周辺)の見せ物小屋で、曲独楽や奇術、居合抜などを楽しむと、宴席で芸者の歌や踊りを堪能しました。こうして浅草は、江戸文化が花咲く日本一の歓楽街として、その名を全国に轟かせました。
明治維新(1865)後の浅草は、浅草寺や周辺の寺社の境内の一部が整備されて浅草公園になり、一区から六区に分けられた近代的な町へと生まれ変わりました。浅草花街は一時衰微しますが、明治18年(1885)の浅草寺寺内の改造を機に、広小路・猿若町・堀の芸者衆の一部が浅草公園周辺に集まり、公園内の料理屋を出先に、現在の浅草芸妓のもととなる公園芸妓が誕生し、かつての繁盛を取り戻します。明治29年(1896)には料理店ごとあった見番をまとめた公園見番が作られ、芸妓の管理と花街の運営にあたることになりました。
その後、公園を根城にしていた花街も、芸妓の変遷、都市の発展に伴って浅草寺の北に移り、大正末期(1920頃)には、料理店49店、待合茶屋250軒、芸妓1,060名を擁し、浅草花柳界史上最大規模を誇りました。
しかし関東大震災、続く戦禍のために、多数の痛ましい犠牲者を出して、浅草は壊滅状態となりました。戦後、一面の焼け野原となり、日々の食べ物にも困る中、人々は一丸となって浅草花柳界の復興と再起に取り組みました。昭和21年(1946)に見番が三業組合を結成して営業を再開すると、昭和25年(1950)には復活と発展を示す「第一回浅茅会」をスミダ劇場で開催。浅草芸妓の変わらぬ伎芸を人々に披露しました。その後、会場が明治座、浅草公会堂と変わりますが、浅茅会公演は浅草芸妓の鍛えた伎芸をご披露する場として知られ、随時開催されていきました。平成7年(1995)には、東京浅草組合と浅草観光連盟の共催となり、台東区の後援をいただき、「浅草おどり」として街をあげた催事となり、浅草花街の地域復興、芸妓の芸能文化向上に寄与しています。
浅草花街は、伝統と格式を誇る東京屈指の花柳界でありながら、江戸の心意気と親しみやすさを大切に、地元・浅草の人々から愛されながら、地域とともにこれからもありつづけていきます。
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